江戸時代(1692年)元禄5年、住職第49世代に鋳造・市重要文化財佐野家と当時栄えた海運業従事水難者供養のため建立された、天明鋳物の逸品であると言い伝えられております。
別伝には「豊臣地蔵尊」(ほうしんじぞうそん)とも呼ばれています。
佐野の地で、安土桃山時代初期(天正年間)北条氏の唐沢城攻撃が数度にわたりおこなわれ、この地も戦場と化しましたが、豊臣氏の援軍により九死に一生を得ました。
後にこの時戦死した豊臣氏側の武士の霊を慰めご供養するため建立したが、徳川時代のため名目を水難者供養のためとしたとのことです。
江戸時代(1690年代)元禄時代、延命地蔵尊と同時代須藤彦右衛門により建立される。
太平洋戦争時梵鐘は供出されてなくなっています。
戦後50年を期に、再建の要望高まり、平成5年大協精工社長須藤真通氏の多大なる尽力のもと再建されました。
平成3年佐野市内真言宗豊山派7ケ寺により設立され
長寿・延命のご利益高い壽老尊霊場となりました。
これを機に長寿ケ池を設置する。
“橋を渡ると先には壽老尊”
約半日でお参りできるようになっておりますが、併せて「水琴窟」巡りなどを加えるのも新しい巡拝の楽しみかとも思えます。
平成9年6月完成
当寺院の檀信徒に限らず、多くの方々に「観音菩薩の慈悲ある徳」を受けて頂けるよう自由にご参拝できる霊場としています。
また、台座の下は永代供養の壽観音納骨堂(やすらぎ廟)となっています。
平成12年秋彼岸設置完了並びに奉納協賛者勧募中
檀家寺では、墓参の対象になるご先祖様の、その時の守りご本尊を安置することにより、ご先祖様の後生安楽をお願いします。
また、墓参に来られた遺族親戚の方においても、生身ですから、自分自身をも守ってもらいたいと願うのも本当の心です。
そこで、この人たちを守ってもらえるところの、生まれ年の干支による“一代守りご本尊” 様を安置することにしました。
ここをお参り手を合わすことによって、亡くなっているご先祖様のご供養と共に自分自身も併せて守っていただくことができます。
平成16年春彼岸設置完了
静かな環境で微かに響く水のひびき、ご先祖様のお墓参りに来られたときや、縁あって来院されたときに、一時の心の安らぎを得てもらいたい。
お墓参りで、手を合わせた後の “心のすがすがしさ” と共に、“心の安らぎ” を味わって頂くことが出来ます。
佐野市には水琴窟を設置するところが寺社仏閣だけでなく、一般家庭などでも徐々に増えてきています。
六地蔵尊信仰は、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)輪廻転生する象生を地蔵が救済するということから、六つの分身を考えて信仰するもので、平安末期に始まったと言われています。
また寺院の門前や墓地の入口に安置されているのが一般的です。
まず菩提寺のご本尊様にお参りをしてからお地蔵様そして各家の仏様のお参りをいたしましょう。
お地蔵様をお参りするとき唱える言葉は、
「おんかかびさんまえいそわか」です。